
あのロボットに再び命を吹き込む日が来るとは――『カルネージハート』と思考で戦う楽しさ
こんにちは。製品ハード開発のエンジニアとして、もう30年近くこの業界に携わっています。
仕事に追われる毎日の中、最近は「定年まであと何年」と数えることが増えてきました。
正直なところ、早く自由気ままな生活を送りたい――それが今の密かな願いです。
そんなある日、ふと見たユーチューブで昔のことを思い出しました。
まだ20代だったころ、夜な夜な夢中になってプレイしていた1本のゲームがあったんです。
その名は『カルネージハート』。
名前を聞いて懐かしいと感じたあなた、きっと同世代ですね。
「動かす」のではなく「考えさせる」ロボットゲーム
1995年、PlayStationで発売された『カルネージハート』というゲームをご存じでしょうか?
一見するとロボットを操作して戦うアクションゲームのように見えるこの作品なのですが、実際にプレイヤーがやるのは“操縦”ではなく、“思考の設計”です。
このゲームでは、ロボットに搭載するAIをフローチャート形式でプログラムしていきます。
「敵を感知したら回避行動へ移れ」「攻撃を受けたら武器を切り替える」「オーバーヒートしないように冷却動作をはさむ」など、自分で条件を細かく設定して動作を組み上げていく――そんな、まさに“考えるロボットゲーム”なのです。
初めて雑誌でゲーム紹介をみたとき、「なんだこのゲームは!?」と驚いたのですが、プレイしてみたいと思い購入した結果、あの時の直感は間違っていませんでした。
プレイを始めると、気づけば何時間も何日もロジックの調整に没頭し、思ったように動いてくれないロボットに対して何度も条件分岐を修正し、ようやく意図どおりに動いて敵を倒せたときのあの達成感が忘れらません。
そして、面白さはそこだけに留まりませんでした。
ある日、友人が僕の組んだロボットに挑戦するために家にやってきました。
彼は毎晩のように通ってきては改良を重ね、数日後には僕の機体を打ち破るプログラムを完成させてしまったのです。
その日からは、僕が再び彼を上回るロジックを組む日々が続き、互いにプログラムで競い合うという、まるで小さなAIバトルのような日常が生まれました。
今思えば、それが本当に楽しく、最高の思い出です。
『カルネージハート』は、“操る”のではなく“考えさせる”という異色の魅力を持ったロボットゲームでした。
現代のようにAIやロジック設計が当たり前になるずっと前に、僕らはゲームというフィールドで“AIプログラミング”の面白さに夢中になっていたのです。
自分だけのロボットが“戦う”ことの奥深さ
カルネージハートの魅力は、単にロボットがかっこいいとか、操作が面白いというレベルではありませんでした。
そこには、論理と感性のせめぎ合いがあるんです。
「正解」がない中で、どうすれば相手に勝てるか?
どうやって限られたパーツと命令数の中で、ベストな戦術を構築するか?
まさに今のハード設計にも通じる、試行錯誤の連続でした。
勝てないときは、プログラムを見直して、原因を突き止めて、また調整してまた挑戦、負ければまた改善して挑戦の繰り返し、負ければ悔しさはありましたが、あの頃の自分は、負けるのも楽しいと思っていました。
なぜなら負けたって次の“改善ポイント”が見つかっていたからです。
本当に、「ロボットに命を吹き込んでいる」という感覚があったんです。
最近見つけた“令和版カルネージハート”!?その名も『Gladiabots』
そんなカルネージハートに似たシステムのゲームが無いかと調べていると、ふと目にしたゲームが「Gladiabots(グラディアボッツ)」でした。
どうやらこのゲームも、プレイヤーがロボットのAIを自分で設計し、そのロジックに従って戦うという内容でした。
まさに「カルネージハートが好きだった人に刺さる」と紹介されており、思わず反応してしまいました。
「Gladiabots」は数年前にリリースされた作品で、最新のゲームというわけではないようです。
とはいえ、Steamやスマートフォン(Android/iOS)でもプレイ可能で、AI構築の自由度やバトルの奥深さには今でも高い評価が集まっています。
グラフィックはシンプルながら、リプレイ機能や対戦要素もあり、かなり本格的に作り込まれている印象です。
まだ実際にプレイはしていないのですが、あの頃のように「思い通りに動かないロボットに悩みながらも、徐々に戦術が噛み合っていく快感」を、もう一度味わえるのではないかという期待が膨らんでいます。
時間を見つけてぜひ触ってみたい。
そしてもしプレイした暁には、あの頃の思い出とともに、感想をあらためて記事にしたいと思っています。
あの頃のワクワクを、もう一度思い出してみませんか?
今や仕事もベテランの域に入り、若い頃のような高揚感を感じる機会は減ってしまいました。
でも、カルネージハートのことを思い出すと、不思議と心が少し熱くなります。
「考えることそのものが面白い」と感じていた、あの頃の自分、理屈と感情のあいだで、自分のロボットを“育てていた”時間など、あの経験は、今の自分を作ったひとつのピースだったのかもしれません。
もし、この記事を読んで「懐かしいな」と思った方がいたら、ぜひ一度、カルネージハートやGladiabotsの世界をのぞいてみてください。
何十年も経っても、「考えることの楽しさ」は、決して色あせていないと思います。
最後に:定年後にやりたいことリストに「ロボット再入門」追加
この歳になると、「いつかやりたいこと」が具体的に見えてきます。
僕の場合、そのひとつが「また自分のロボットを作って動かす」ことです。
趣味でもいい、ゲームでもいいので、自分の手で“思考するマシン”を作るあの感覚を、もう一度味わいたいと思っています。
定年まであと数年、それまでに、Gladiabotsのプレイを始めて、「思考で戦うロボット遊び」を趣味として再燃させておこうかと思っています。
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