“物語を遊ぶ”とは何か?──TRPGとオープンワールドRPGの自由度を考える

物語を遊ぶという発想

物語を遊ぶという体験は、ゲームの歴史の中でずっと探求され続けてきたテーマのひとつだと思います。

私はTRPGを本格的に遊んだ経験を持っているわけではありませんが、その存在には昔から強い興味を抱いていました。

とくにプレイヤーとゲームマスターが即興的に物語を編み上げていくというスタイルは、デジタルゲームとはまったく違う自由さと奥行きを感じさせます。

デジタルRPGが与える物語体験

コンピューターRPGが隆盛を迎えて以降、RPGと呼ばれるジャンルのゲームは数多く登場しました。

ドラクエやファイナルファンタジーのように、あらかじめ用意された壮大なストーリーを追体験するもの、あるいはSkyrimやゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルドのように、広大なオープンワールドを自由に探索しながら自分なりの冒険を描けるものなどがあります。

こうしたゲームは間違いなく魅力的で、没入感の高い体験を提供してくれます。

しかし「物語を遊ぶ」という観点から見れば、TRPGとは根本的に違う性質を持っています。

TRPGの本質は「即興性」

TRPGでは、物語は最初から完成していません。

ゲームマスターが大まかな舞台や状況を提示するものの、プレイヤーの選択や思いつきによって展開はどんどん変化していきます。

ときには予想外の方向へ転がり、シナリオの枠を飛び越えて新しい冒険が始まることすらあります。

そのたびにGMは即興で世界を膨らませ、登場人物を動かし、物語を生きたものとして紡ぎ直します。

この「即興性」こそが、TRPGならではの魅力であり、他のどんな形式のゲームとも違う点です。

デジタルRPGの限界

一方、デジタルRPGは制作者がすべての舞台装置をあらかじめ準備しています。

膨大なシナリオ分岐や選択肢が用意されている場合でも、結局はプログラムの中に収まる範囲での自由度に留まります。

Skyrimのように行動の選択肢が非常に多い作品であっても、その先にある展開は用意されたパターンの組み合わせです。

自由に感じられるけれども、すべてはあらかじめ設計されたレールの中にあるわけです。

もちろん、それが悪いというわけではありません。

デジタルRPGは作り手のビジョンを高精度に体験できる魅力がありますし、グラフィックや音楽の表現力は、TRPGの「頭の中で想像する世界」とは別種の強い没入感を与えてくれます。

しかし「自分と仲間で物語そのものを生み出す」という体験にはどうしても及ばないのです。

オープンワールドはTRPGにどこまで近づいたか

オープンワールドRPGは、TRPGの体験にもっとも近いもののひとつです。

どこに行くか、誰に話しかけるか、どのクエストを受けるかといった選択の積み重ねが、自分なりの冒険譚を形作っていきます。

けれどもそこでも、制作者が事前に組み立てた仕組みの範囲から抜け出すことはできません。

NPCが予想外の返答をすることはなく、思いもよらないイベントが発生することもありません。

TRPGにおける「GMの即興性」がデジタルゲームに欠けている要素なのです。

TRPGの自由度を示す一例

この差はとても大きいと思います。

たとえばTRPGで「村を襲ったモンスターを倒す」という場面があったとしましょう。

プレイヤーが正面から戦わず、モンスターと交渉して共存の道を模索し始めることもありえます。

GMはその場で即興的に会話を作り、モンスターの背景や価値観を肉付けしていきます。

こうして物語は予想もしない方向へ展開します。ところがデジタルRPGの場合、「戦う」か「逃げる」かといったあらかじめ設定された行動しか選べないことがほとんどです。

どんなに世界が広くても、選択の幅は設計された枠組みに閉じています。

AIがもたらす可能性

このギャップを埋める可能性があるのがAIの存在です。

もしAIがゲームマスターの役割を担えるようになったら、どうでしょうか?

プレイヤーが「モンスターと交渉したい」と言えば、AIはその意図を受け取って即興的に会話や設定を生成することができます。

NPCが自律的に考え、応答を返してくれるようになれば、プレイヤーの自由な行動はそのまま物語の進行につながるでしょう。

これはTRPGの「即興性」に極めて近い体験であり、場合によってはそれを超える可能性すらあります。

すでに始まっている実験

実際にAIを使ったゲーム的な試みはすでに始まっています。

チャットボット型のNPCや、AIが自動でシナリオを生成するプロジェクトなどです。

まだ荒削りな部分は多いですが、技術の進化が続けば近い将来、本当に「自由な冒険」をデジタル空間で実現できるかもしれません。

人間のGMとAIの協力、あるいはAIが単独で担うGM体験が広がっていくと、TRPGとデジタルRPGの境界はどんどん曖昧になっていくでしょう。

人間のGMにしかできないこと

もちろん、人間のGMにしかできないこともあります。

仲間内の空気感を読み取りながら盛り上げたり、プレイヤー同士の関係性を活かしたシナリオを用意したりすることは、AIには難しい領域です。

それでも、AIが補助的な役割を担ったり、即興的に世界を広げたりしてくれるだけで、物語を遊ぶ自由度は飛躍的に増すはずです。

物語を遊ぶ未来へ

物語を遊ぶという行為は、結局のところ「誰と一緒に物語を作るか」という問いにもつながります。

TRPGはプレイヤーとGMが一体となって物語を作り上げる共同作業です。デジタルRPGは制作者とプレイヤーの間で交わされる一方通行の物語体験です。

そしてAIが参加する未来には、プレイヤー、制作者、人間のGM、AIがそれぞれの役割を持ちながら、一つの物語を編んでいく新しい時代が訪れるかもしれません。

物語を遊ぶとは、想像力を共有することだと思います。それはルールやグラフィックの精密さよりも大切な部分です。

もしAIがGMを担い、本当に自由なクエストや予想外の展開を生み出してくれるようになれば、私たちが体験できる「物語を遊ぶ」世界はこれまでにない広がりを見せるはずです。

その未来を想像すると、TRPGを実際に遊んだことがない私でも強い期待とワクワクを感じます。

 

 

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