
スーファミ・初代PSのFF世代が感じる、ゲームの進化と時間の壁
最近、YouTubeで昔のゲーム音楽をよく聴くようになった。
作業中のBGM代わりというより、どちらかというと“懐かしさ補給”のためだ。
開発部屋で設計書を片手にうなりながら回路図を眺めているとき、ふと耳に流れてくる「ザナルカンドにて」や「仲間を求めて」に、心がふっと緩む。
そうだ、俺はこういうゲームを夢中になってプレイしていた。
あの頃は、夜中にハンダゴテを握ったあとに、平気で2時間ぐらいRPGを進めていた。
若かったなぁ。
ファイナルファンタジーは人生の一部だった
自分が熱心にゲームをやっていたのは、40代前半まで。
いや、正確に言えば、子育てが忙しくなるまではかなりの時間をゲームに費やしていた。
中でも思い出深いのは、やっぱりファイナルファンタジー(FF)シリーズだ。
FFは4から10までリアルタイムでプレイした。
スーファミの時代、セシルが暗黒騎士からパラディンにクラスチェンジするのを見守った。
FF6のオペラシーンには胸が震えたし、プレステのCD4枚のFF7のミッドガルのオープニングには「ついにここまで来たか」とゲームの進化に感動した。
そしてストーリーで一番印象に残っているのは、FF10だ。
ユウナとティーダの関係、スピラという世界の輪廻と犠牲の物語——技術者としての論理思考とはまるで違う、感情をゆさぶられるような展開があって、初めてエンディングで「泣いた」ゲームだったかもしれない。
FF7の進化を眺めながら感じる時間の流れ
YouTubeのおすすめに、最近よくFF7 Rebirthのプレイ動画やBGMが上がってくる。
あのFF7が、こんなにも美麗なグラフィックで蘇っていることに、ただただ驚くばかりだ。
初代FF7といえば、ポリゴンのゴツゴツしたクラウドに、三角の手とドット顔。
それが今では、髪の一本一本まで風になびく。表情筋までリアルに動く。
まさに「別物」だ。
もちろん、グラフィックだけでなく演出、セリフ回し、バトルシステム、全てが現代風にリファインされている。
旧作をプレイしていた者としては「ここまでやるのか」と思うと同時に、「これは時間を取ってじっくりプレイしたい」と感じるわけだ。
でも現実は、そんなに甘くない。
PS5を買う気になれない50代の本音
問題は、PS5を買うほどのモチベーションが今の自分にあるかということ。
ゲームを買うお金がないわけじゃない。
でも、腰を据えて何十時間もプレイする“根気”がない。
仕事から帰ってきて、晩飯を食べて風呂に入って、ソファに沈んだらもう寝落ちコースだ。
昔みたいに、夜中に「あと1ボスだけ!」なんて気力はどこにもない。
スイッチ2で出たら……多分買う
そんなわけで、今はスマホの携帯ゲームが中心になっている。
短時間で区切れるし、ちょっとしたスキマ時間にできる。
でも本音を言えば、やっぱり「本物のRPG」がやりたいと思うこともある。
最近、ニンテンドースイッチ2の噂がちらほら聞こえてきている。
娘も「新しいスイッチ欲しい〜」なんて言っているし、そのうち我が家にも来ることになるかもしれない。
もし仮にFF7 Rebirthがスイッチ2で出たら……そのときこそ真剣にプレイを考えると思う。
ベッドで寝転びながらプレイできる、手軽さと本格さのバランス。
そういう形なら、久しぶりにじっくりRPGの世界に戻れるかもしれない。
エンジニアのくせに、技術の進化についていけない矛盾
自分はハード開発のエンジニアで、技術の最先端を追ってきた立場のはずなんだけど……
ゲーム機の進化には、素直に感心する一方で、「自分はもうそこにいないんだな」という寂しさも感じる。
若いころの“熱量”は、どこにいったんだろう。
最近では、後輩に回路の基本を教える時間の方が多くなり、製品仕様の整理やレビューで1日が終わる。
でも、だからこそ、音楽や映像、そしてかつての思い出に触れることで、少しでも「あの頃」の情熱に近づけたらいいと思う。
たまに昔のゲーム音楽を聴くだけでも、気持ちがリセットされる気がする。
おわりに:またいつか、FFの世界に戻れる日を夢見て
今の自分には、FF7 Rebirthをプレイする時間も、気力も、たぶんない。
でも、いつかまた、あの世界に戻れる日が来たらいいなと思う。
そのために今は、YouTubeで音楽を聴きながら、そっとコントローラーを握るタイミングを待っている。
もしスイッチ2でFFシリーズが出たら、きっと娘に「お父さんの番だから貸して」と言ってプレイしている自分が想像できる。
そのときはまた、ミッドガルの風に吹かれながら、過去と未来の狭間を旅してみたい。
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