プレイステーションに移った瞬間の衝撃
ドラゴンクエストVIIが2000年に発売されたとき、私はすでに製品ハード開発の現場で働いていました。
日々CADに向かい、試作品を作り、評価を繰り返す生活の中で、ゲームは一種の逃避でもあり活力でもありました。
長年任天堂ハードで育ってきたドラゴンクエストが、初めてソニーのプレイステーションに登場するというニュースは大きな衝撃でした。
プラットフォームが変わることは、私の職場で言えば設計基板を一新し、別のアーキテクチャへ移行するようなものです。
ユーザーとしてもエンジニアとしても「いよいよ時代が切り替わったな」と感じた瞬間でした。
ディスク2枚組が示した大作感
二枚組のディスクを初めて手にしたときの感覚は、今でもはっきり覚えています。
当時の私は、ケースを開けた瞬間に並んでいる二枚のディスクを見て、「これはとんでもないボリュームの作品に違いない」と直感しました。
ゲームがディスク1枚に収まらないという事実そのものが、未知の大冒険を予感させたのです。
仕事柄、私はストレージ容量の増加がどのように活用されるかを常に意識していました。
半導体の進化やメディアの大容量化は、私たちの開発現場でも課題でありチャンスでした。
ゲーム開発者にとっても同じで、より大きな器を得たからこそ、そこに膨大なデータを盛り込み、広大な世界や緻密なシナリオを実現できたのだと思います。
プレイヤーとしては素直にワクワクしましたが、エンジニアとしての視点では「技術の進歩が表現力を直接押し広げている」という事実を強く感じました。
ディスク2枚という物理的な存在は、単なるメディアの違いを超えて、時代の節目を象徴する記号のようにも見えたのです。
長大な冒険と、効率とは無縁の時間
石板を集め、過去と現在を行き来する物語は、私の中でとにかく長大な記憶として残っています。
ときに行き先が分からず同じ場所を何度も歩き回ったり、石板が見つからずに途方に暮れたりしたこともありました。
それでも不思議と嫌気はささず、「これも冒険の一部だ」と受け入れていたのです。
仕事の現場では効率や歩留まりが常に問われ、無駄を省くことが最大の価値につながります。
しかしゲームの世界では、その“無駄”こそが体験を豊かにしていました。
寄り道や試行錯誤の積み重ねが、日常の緊張を解きほぐし、現実から少しだけ解放してくれる休息になっていたのだと思います。
2026年、フルリメイクという再設計
そして2026年2月5日にドラゴンクエストVIIが「フルリメイク」として生まれ変わという発表がされました。
ここで「リメイク」と「フルリメイク」の違いについて考えてみました。
私の解釈では、リメイクは既存製品のリビジョンアップに近いです。
筐体はそのままでも内部基板を新しくして性能を向上させるようなものです。
一方、フルリメイクは基板から筐体、ソフトウェアに至るまで一度分解し、現代の技術で再設計するプロセスに等しいと感じます。
オリジナルの思想は残しつつも、実装はすべて最新の規格で組み直す。つまり、ただにに「きれいな映像」ではなく、構造そのものが作り直されるのです。
遊びやすさとシステム刷新
石板探しにガイド機能が追加されたり、戦闘がよりテンポよく進むよう調整されたりするそうです。
これはまさに設計者がユーザーの声を吸い上げ、UIやUXを改善していく流れと重なります。
オリジナルの持つ魅力や雰囲気は大切に残しつつも、遊んでいる途中で煩雑さを感じて離脱してしまいやすい部分を丁寧に見直しているわけです。
さらに職業システムも掛け持ち方式に変わり、プレイヤーごとに多彩な戦略を組み立てられるようになりました。
エンジニアの目から見れば、従来の機能をモジュール化し、組み合わせ次第で新たな挙動や効果を生み出す拡張設計に近く、とても合理的な進化に感じます。
記憶は薄れても懐かしさは消えない
正直、ストーリーは細かい部分までほとんど覚えていません。
当時は夢中で進めていたはずなのに、年月を経て記憶の中では断片的な情景しか残っていないのです。
しかし、それが逆に楽しみを増しているように思います。
忘れてしまった設計図を新しいCADツールで再び開き、最新の環境で改めて検証していくような感覚に近いのかもしれません。
懐かしさという土台は確かに存在するのに、細部は霞がかかったように思い出せない。
そのおかげで、まるで新作を遊ぶような新鮮さと驚きを抱きながら、再び物語に没頭できるのだと感じています。
定年後に味わう贅沢な時間とフルリメイクへの期待
50代になり、定年という言葉が少しずつ現実味を帯びてきました。
長年製品開発に携わり、効率と品質のはざまで試行錯誤を繰り返してきた日々を振り返ると、常に「無駄をなくす」ことが当たり前の価値観だったように思います。
しかし、定年後に本当に欲しいのは、効率を度外視しても心から楽しめる時間です。
その意味で、ゲームは最適な存在だと感じています。とりわけドラゴンクエストVIIのフルリメイクにのんびりと向き合えることは、自分にとって贅沢で自由な時間そのものになるでしょう。
エンジニアとしての性分から、つい「中身がどう刷新されたのか」「設計思想がどのように進化したのか」に目が行きますが、最後に残るのはそうした技術的な関心を超えた純粋な「楽しさ」だと思います。
懐かしさと新しさが入り混じった冒険を再び味わえる日が近づいていることを思うと、自然と胸が高鳴ります。
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