変形するロマンに魅せられて──バルキリーが教えてくれたワクワクと衝撃
私にとって、バルキリーは特別なロボットです。
ガンダムやパトレイバーとはまた違う、独自の世界観と“変形するロマン”が詰まった機体です。
マクロスを初めて見たときの衝撃はいまでも鮮明に覚えています。
ロボットアニメが好きだった少年時代、マクロスのバルキリーは明らかに他のロボットとは違っていました。
戦闘機からロボットになるだけでも斬新なのに、その間に“ガウォーク”という謎の中間形態まであるというところが、とても何とも言えない感覚だったような感じがしたような気がします。
しかしこの3段変形こそが、バルキリーの最大の魅力であり、当時の心を一瞬で奪った要素でした。
3段変形との出会い──「こんなものがあるのか」と驚いた少年時代
バルキリーといえば、3形態に可変戦闘機ではないでしょうか?
- ファイター(戦闘機)
- ガウォーク(歩行形態)
- バトロイド(人型ロボ)
この設定に初めて触れた時、「こんな自由自在なロボットがあるのか」と驚いたものです。
飛行機の形から腕が生えて歩き出すガウォークは、当時のロボットアニメを見慣れていた私にとって、これはまったくの異次元な形態でした。
ガウォークにライフルを構えさせた姿なんて、当時のロボットの中でも相当に異端です。
けれど、それがやけにカッコよく印象に残りました。
“かわいいようで強い”という、不思議な魅力がありました。
今思えば、あの異様さこそ、バルキリーが唯一無二である理由だったように思います。
プラモデルを並べて眺めた日々──分かっているけど、全部ほしくなる
バルキリーの3形態に夢中になった私は、プラモデルをを買い立体で色々な方向から眺めていました。
購入したプラモデルは変形ではなく、それぞれの形態を固定モデルとして飾るタイプのプラモを机に並べて、
- 「ファイターはやっぱり戦闘機として美しいな」
- 「ガウォークはなんでこんなに愛嬌があるんだろう」
- 「やっぱりバトロイドは王道のロボットだな」
と形や造形をじっくり眺めて楽しんでいました。
子どもながらに、「形が違うとここまで印象が変わるのか」と感じていた気がします。
エンジニアになった今振り返ると、すでにこの頃から“設計思想の違い”に触れていたのかもしれません。
高価だった超合金バルキリー──憧れの“変形できる本物”
プラモデルとは別に、当時“憧れの存在”がありました。
それが 変形できる超合金バルキリー です。
ただ、私にとっては高価でした。
少なくとも子どものお小遣いでは手が出ない“夢のプロダクト”でした。
だからこそ、あの感覚はよく覚えています。
変形可能な超合金バルキリーを持っていた友達の家に行くと、触らせもらい変形させてカチャカチャした金属の重みや、変形のメカニカルな感触にワクワクしていたことはよい思い出です。
あれは、フィギュアというより“機械玩具の完成形”だったような気がします。
いまだにあの重さや手触りは忘れられません。
マクロスの世界観は唯一無二だった──歌と戦争、そして宇宙船の中の街
マクロスといえば、バルキリーの魅力と同じくらい世界観が独自だったという印象があります。
まず“歌がキーになる物語”という、ロボットアニメなのに、戦争の鍵が歌だという設定は衝撃的でした。
今でこそ「マクロス=歌」という印象は一般的ですが、当時は本当に斬新で、他のロボット作品とは圧倒的に違っていました。
「愛・おぼえていますか」は今でも歌えますし、オープニングも覚えていて、あのイントロが流れると自然に体が反応してしまうくらいです。
ただ、エンディングはなぜか覚えていませんが、「カルチャー」、「デカルチャー」という言葉をよく覚えています。
そしてもうひとつ印象に残っているのは、宇宙船の中に“街”があったことです。
ガンダムのコロニーとはまた違う、宇宙船の内部に商店街や住宅地が広がっているあの光景は、
子ども心に「宇宙にもうひとつの世界がある」と感じさせてくれました。
ああいう“生活と戦場が同居する世界観”は、後にも先にもマクロスだけかもしれません。
ガウォークの存在は、なぜこんなに心に残るのか?
変形といえばバルキリーですが、その中でも特に心に残っているのが ガウォーク です。
戦闘機とロボットの中間という、“使い道がありそうで、なさそうで、でも強そう”という独特のフォルムは、他のロボットとはまったく違う、唯一無二の造形でした。
子どもの頃は「なんで途中形態があるんだろう?」と思っていましたが、大人になってから見返すと、「この形態があることで戦術の幅が広がる」「設計が合理的に見えてくる」という気づきもあって、また違う魅力が見えてきます。
でもやっぱり一番の理由は、見た瞬間に「変形の内部構造」が想像できるワクワク感だと思います。
ロボットと戦闘機の間をつなぐ“変形の過程”がそのまま形になっているのは、ガウォークだけが持つ特別な魅力だったのではないでしょうか?
50代になった今でも、バルキリーを見ると胸が熱くなる理由
あれから何十年も経ちましたが、バルキリーを見ると、当時のワクワクした気持ちが今でもふっと蘇ります。
・変形という“工学的ロマン”
・歌が武器になる独特の世界観
・宇宙船の中の街という衝撃の設定
・バルキリー特有の美しいプロポーション
それらすべてが詰め込まれた作品を、あの時代に体験できたことは本当に幸運だったと思っています。
今のアニメには今の素晴らしさがありますが、あの頃の“新しいものを創り出そうとする情熱”は、50代になった今だからこそ、より深く理解できる気がします。
おわりに──バルキリーは“自分の原体験を形にした存在”
振り返ってみると、バルキリーは私にとって、ただのロボットでも、ただのアニメのメカでもありませんでした。
あの三段変形を初めて目にしたときの衝撃、プラモデルを飾って眺めていた時間、友達の家で、変形できる超合金を触らせてもらったときの高揚感、それらの記憶が、今でも鮮明に残っています。
ファイターの流れるようなライン、ガウォークの“これ何!? でもかっこいい!”という異質な魅力、バトロイドで見せる戦闘機とは思えない生命感、どの形態も、それぞれ違うワクワクを与えてくれました。
大人になってエンジニアとして働くようになった今、ふと振り返ると――ものづくりに惹かれた理由のひとつに、間違いなくバルキリーの存在があったと思います。
あの頃、ただ夢中になって見ていたものが、気づけば私の価値観や興味を形づくっていたのではないか?
そう考えると、バルキリーは私にとって「変形ロボットの原点」であり、ものづくりに心を奪われたルーツそのものなのかもしれません。
これからもきっと、あの三段変形を見れば昔のワクワクがよみがえるという、“消えない火種”として、ずっと心の中で生き続ける存在になると思います。

